24歳で医師になってから、医師として大概の事はできるようになり、「自分のところに来た患者さんは何が何でも治す!」という気概でやってきた救急医療でありました。私は下関カマチ医院を開院した時から「厚生省の政策を10年先取りして動かなければ」と考えてきました。
小文字病院を開院した当時、救急対応をしていた病院は、当院とあと一つくらいで、普通に治療をすれば助かる患者さんが手遅れで亡くなっていました。これは国内で交通事故に遭えば、ベトナム戦争よりも死亡率が高かったことになります。
他の病院が受け入れない患者さんを当院の技術と医学知識で治療し、全体をレベルアップさせてきました。その結果、福岡・北九州の医療現場から「タライ回し」をなくしたのです。そして当時、私より15歳年下の若いセラピストが、救急の治療後すぐに適切なリハビリを行えば、回復が早い事を実例で示してくれました。彼が手術後の患者さんにリハビリを施すと、予後が違った。まだ早期のリハビリはいけないとされていた時代でしたが、リハビリは効くと思い、積極的に取り入れてきました。その結果、早期退院が可能となり、病床の回転率が上がるという好循環な結果になりました。
とにかく患者さんのために役立つ医療を行わなければならない。そのためにどのような医療を行えばいいかということは、「シンプル アンド ロジカル」です。必要なことは必要な時期にすぐに実行する。患者さんが「痛い」と言えばすぐに痛みを取ってあげる。「苦しい」と言われたらすぐに和らげてあげる。「死にたくない」と言われたら命が長らえるようにできるだけの努力をする。それは病院運営でも同じことです。マーケティングを行いニーズがあるところに病院を作っていった結果、病院が増えました。だんだん病院が増えてくると、看護師やセラピスト集めが大変と言われる。ならば、養成校を自前で持っておけばいいのではないか。それがカマチグループの施策の一つです。
もう一つ心に留めている言葉が「伝統は与えられるものにあらず 作るもの也」。こうしてグループが発展した土台には、基礎を築いた人物や出来事など歴史がありました。それらがあったから今があるのです。またその歴史に伝統という色づけを皆でしてきた。その伝統は、もっと良くしたいという思いから生まれたものです。
もっと素晴らしい病院にするために、毎日毎日の手、顔、心が伝統になると思っています。これからもいい伝統を作り続けていきたいと考えています。
そして、若いスタッフが大勢いるのもポイントの一つ。彼らの「何としてでも患者さんを治す!」という心意気は、グループの大きな原動力です。
また回復期のリハビリテーションは、患者さんに生きる希望を見出し、人間として生きるための尊厳を回復することが使命です。救急医療によって命を助け、退院後のQOLを高めるためにリハビリテーションを行い、できるだけ早く元気になって自宅や職場に復帰して頂くこと。
それが結果として日本を元気にしていく。グループ内のどの病院も地域医療だけにとどまらず「大和民族のための医療」を行っています。それがカマチグループの役割だと考えています。
これまでもこれからも、人類の生命がある限り、カマチグループは医療界のプロ集団として邁進してまいります。
蒲池 眞澄